東京でみかん狩り

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「東京のみかん」が気になって、楽しみにしていたイベント。

11月21日土曜日、東京多摩地区で活動されている「東京にしがわ大学」主催の、「武蔵村山市でみかんの教室」に参加しました。
今回の散歩の舞台・武蔵村山は、埼玉県所沢市と接している、東京で唯一電車が走っていない町。私は多摩地区にずっと住んでいながら、まだ一度も足を運んだことがありませんでした。

企画の松井さん、みかん好きな9人の参加者とお喋りしながら、散歩の時間が始まりました。目的地までは2kmほど歩きますが、静かな住宅街で畑を持つ家も多く、遠くには奥多摩方面の山々が見えます。歩いているだけで、どこか旅行にでもきた気分です。

みかん畑は傾斜が強いと聞いていたけれど、思った以上に高いところまでみかんの木が連なっている「下田園」が見えてきました。

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みかん畑の案内をしてくれるのは、お祖父さんの後を継いで、下田園を運営されている智道さん。畑の上まで登りながら、興味津々な私たちに丁寧に説明をしてくれました。みかんの木には「表年」と「裏年」があり、みかんがより多く実る年が「表年」。今年は「裏年」だそうで、「来年はさらに美味しくなりますよ」とのことですが、それでも農園にはたくさんのみかんが実っていました。

下田園のみかんは、宮本早生という品種。普段はみかん狩り体験をメインに、「アイス工房ヴェルデ」のみかんシャーベットや、「村山みかん羊羹」等の加工品として販売しています。そのため、下田園のみかんはスーパーでは買えないのだそう。

下田園の始まりはというと、遡ること昭和35年。お祖父さんが「武蔵村山の地形と気候が、みかん栽培に適している」という小学校の先生のアドバイスを受け、みかん農園を拓き、武蔵村山にみかん栽培を広めたそう。最盛期には20軒以上もみかん農家があったのですが、最近は後継者不足で徐々に農園が閉まっていき、今では武蔵村山のみかん農家は6軒となってしまったそうです。

幼少時代の智道さんは農園を継ぐ意思はなく、お祖父さんも自分の代で終わるつもりだったのだそう。それが、様々な仕事を経て27歳のときに「農園を継ごう」と思い立ち、試行錯誤しながら今日まで農業を続けて来ました。

これまで、「肥料は少なければ少ないほど良い」という初代の教えに沿ってみかんを栽培して来たところ、昨年になって事件が発生。夏に雨と猛暑が繰り返されたことで、みかんの木が病気にやられてしまい、ほとんどみかんが収穫できなかったのだそう。その経験から、少しだけ肥料を増やすなど、みかんの木に無理が出ないよう工夫を重ねてきています。

お話を伺いながらみかん畑を登っていくと、鰯雲の下に一面に広がる住宅街と、遠くには横田基地や富士山も見渡せます。ハサミで収穫して、その場で皮をむいて食べるみかんはとても美味しくて、穫っては食べていたらお腹がいっぱいに。

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「昔はうちのみかんはすっぱくて、追熟させないと食べられなかった」という智道さん。でも今は、気候が温暖になってきたことも手伝い、程よい酸味と甘みがあるみかんが採れるようになりました。

下田園のみかん狩りは例年12月くらいまでで、なくなってきたら終了とのこと。みかんが「表年」になる来年も楽しみです。